今回は川にやって来た。いささか近場でやっつけた感は否めないが、首都圏を横断する一級河川・多摩川である。写真左が東京湾方面、写真中央右が山梨方面である。
この川は古くから「あばれ川」として名高く、幾多の水害によって多くの家屋、そして人命をも奪ってきた歴史を持っている。ここから少し下流には直近の洪水で甚大な被害を被った狛江市がある。
「あばれ川」を鎮めるためにその時代、時代で最新の技術を投入し続け、現在の姿になっている。
しかしこの日の多摩川はそんな凶暴性のかけらも感じさせない。むしろおだやかな優しい顔を見せていた。緊張感の微塵も感じられない。……いや緊張感の微塵も感じられないのは写真左中央の堤防上で昼寝をしているおじさんである。この画を見て「スヌーピー」を思い出しちゃった人はなかなか想像力がある。仰向けになったらすぐに写真を撮ろうと待ちかまえていたが、ついぞ拝めず……。
「こんな平日にこんなところで昼寝とはヒマでいいなぁ」とつぶやいていたら、「オマエはどうなんだ?」という声が聞こえて振り向くと、写真中央の中州の茂みからツバメが一羽こっちを見ていた。ここを録音ポイントとした。
多摩川中流域に生息する野鳥は数十種類いるといわれ、自然の少ない都内においては大切なねぐらとなっている。いたる所にサギやカルガモが散見され、頭上高くトビが下界を睥睨している。どうやら先ほどの茂みの中にも数種類の野鳥がいるようで、音声のセンター付近にもさえずりを拾っている。
気が付くと中学生くらいの女の子が一人、タモ網を持って川に入っていった。裸足である。いい光景だ。いつか忘れてしまった何かをそこに見た気がした。彼女が岸に置いていった空き缶の中をのぞくと、限りなく透明に近いピンク色をした川エビが1匹うずくまっていた。
始終音声のレフト付近を占める音は写真左中央の向こうに見える堰の水音。この堰は知る人ぞ知る「大丸用水堰(おおまるようすいぜき)」で川崎市の登戸付近までおよそ70kmに及ぶ大丸用水の取水堰である。ちなみにこの対岸は稲城市大丸である。
水門の横にはハーフコーン型と呼ばれる最新鋭の魚道があり、お魚さんたちの通り道が人工的に作られている。この魚道を見るには是政橋を渡った稲城市側に回らなければならない。
この大丸付近はもともと鮎漁が盛んだったらしく、明治の頃には多くの鵜飼いが鮎漁をするようになり、昭和の頃まで行われていたという。
こんなところで鵜飼いを見ることが出来たら、どんなにすばらしいだろうと想像しながら川面をぼぉーっと眺めていた。いや現実になるかもしれないと思った。と言うのはいま現在、既にここでは毎年鮎の遡上が確認されているのだ。この日も魚道付近でタモ網を振っている人がいた。声をかけて見せてもらったが、胸びれ付近が黄色に輝く、見まごうはずもない鮎だった。体長10cm位だろうか。……美しかった。食べたいとは微塵も思わなかった。
よし、鵜飼いの鮎漁が始まったら鵜飼いに転職してやろう! と決心していると、写真左の鉄橋を貨物列車が通過した。貨物マニアにはたまらない画だ。この鉄橋は南武線と武蔵野線・貨物線が併走する鉄橋で、さらにその向こうには府中街道が通る是政橋がわずかに確認できる。橋の向こうからは時折飛行機やヘリコプターが飛来し、自然の音を消し去る。
なぜ今回この場所を選んだかというと、多種多様なモノの対比が見られたからである。一見すると表と裏、明と暗に思えるモノの対比である。写真右に見えるのは府中市側で、野球場・多摩川サイクリングロード・スポーツセンターなどの施設が見られ、写真中央左の稲城市側には、清掃工場・汚水処理施設などの施設が建ち並ぶ。
これらはお互いに相容れない。都市計画法によって同じ地域には共存できないからである。しかし両者とも我々が生きていく上で欠かせない存在である。どちらが好きとか嫌いの問題ではなく必要不可欠なのだ。客車と貨物も然り、野鳥とヘリコプターも然り、川の凶暴性と平和性もまた然りである。
両岸の中心位置に立ちそれぞれを眺めていると、この両者を仲立ちし、共存させているのはこの川なのではないかという気がしてきた。ここがもし川ではなくただの更地であったら、両者はお互いを水に流すことが出来なかったのではないだろうかと……。
次第に水かさが増してきた。この場所は本来、多摩川の川底に当たる場所なのだ。マイクが水没の危機に陥っている。
そろそろ撤収しようと腰を上げると、
昼寝おじさんがこちらを見ておられた。
「こんな平日にこんなところで録音とはヒマでいいなぁ」という顔をしてまた寝返りを打った。……同じ場所にヒマ人2人はどうやら共存できないようである。
2007年5月23日 熊谷昌朗